*---ころん&ひなたのにっきちょう---*

マミーが産んだ毛深い子たちの育児日記。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【 --/--/-- 】 スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

お父さんと おじいちゃん 亡くなった。

故人の思い出話が供養だと 聞きました。



だけど お父さんの思い出話は 家族の中では 決していい思い出話にならない。



でも 家族でお父さんの事 言いも悪いも含めて 大好きだったのは わたししかいません。



寂しく わびしい思いをさせてしまったので 少しでも供養になればと 日記を書こうと思いました。

line19.gif

10日に お父さん(67歳)が 誰にも看取られずに たった一人で亡くなりました。 



その20時間後に おじいちゃん(99歳)が 看取られながら亡くなりました。



お父さんと おじいちゃんは 親子。



お父さんが亡くなった事を知り おじいちゃんはきっと 「 わしが きちんと あの世に連れて行こう 」って 安心したんだと 思う。



お父さんは 大ざっぱに言うと 普通の生き方をしてこなかった人で 家族や 親戚一同に そうとう迷惑をかけ うとまれ 嫌われていました。



所長をしてても 役職のついた仕事をしてても 何を思ったか突然辞め 東京やら アメリカのテキサスやらに 飛んでってしまうお父さん。そして ふらっと 家に帰って来ても スーツでビシッときめ ヘアスタイルもバシッときめ 黒塗りのセンチュリーで また どこかに行ってしまう謎な人でした。



おじいちゃんは お父さんを見つけようと しょっちゅう警察に 身元不明の遺体はないか 問い合わせたり 新聞に 載せてみたりと 探し回ってました。



なので わたしは いつも サザエさんとか ちびまるこちゃんのような 平々凡々な家族を うらやましく思って見てたものなの。



お父さんが 萩の病院で死んだと11日の午後に おじさん(父の兄)から聞かされました。10日の夜に 亡くなったと言うので もう 火葬されたのではないかと 慌てて 病院に お父さんの遺体はどこにあるのかを聞いたら 葬儀屋に引き渡したとの事で 葬儀屋に問い合わせたら まだ 間に合うとの事で 急いで ころんと ひなたも連れて 萩に向かいました。



萩に向かう車の中で 今度は おじいちゃんが亡くなったと知らせを受けました。



葬儀屋に行くと お父さんは プレハブ小屋の冷凍室に入れられてました。



冷凍庫の横は ゴミ置き場でした。



形だけの 線香が 置かれてました。



おじさんに 金銭的な事を全て任せてたので 全部を削った最低ランクの設定だったようです。 



死後20時間たっていたけど お顏も 手も やわらかかったよ。



まぶたをめくって 瞳もみたの。こっちを 見ていた。優しい目ではなかった。



葬儀屋の方も 身内がいないと聞かされてたようで戸惑ってらっしゃいました。



なぜ お父さんが1人でひっそり死んでいったか、 なぜ 身内がいない事にしていたか等 これまでのお父さんと家族の思いを打ち明けると 葬儀屋の方も 声を震わせて泣いてらした。



2年前 お父さんが また 一緒に 暮らさないかと 電話がかかってきました。 10年前までは ずっと 一緒に暮らしてたと言う事もあり~の わたしと 一番気があう事もあり~のなんだけど・・・。



でも ここでは 簡単に書けない色々な事が あったと言うのもあり 今の生活を守りたいと言うのもあり 拒否したの。かなり ひどく。暴言まで吐いてしまった。



弟 2人は お父さんを警戒してました。要注意人物なお父さんなんだけど でも 今更かばうわけじゃないけど 知識は豊富で 人を笑わかせる事も好きで たいして おもしろくもないオヤジギャグも 一応言ってみたりと 中々普通の所もありました。 



おじさん(お父さんの兄)が 「 お父さんの事は おじさんに任せなさい。みーちゃん達には 一切迷惑がかからないようにするから。 」 と 言ってくれたので この2年間、お父さんの事 全部 丸投げしました。



あの日から 2年たった ついこの間の6月末 お父さんがもう危ないと聞いたので 勇気を出して 10何年ぶりに 萩の病院に会いに行ったの。



100㎏近くあったお父さんは 確実に わたしより軽い体重であろう骨と皮になり 酸素マスクをつけて わたしに向かって 「 だれ? 」と 声を振り絞って聞いてきたの。



だから わたしの名前を ゆっくり言いながら 分かる?と 聞くと 「 うんうん 」 と 分かってくれたようだったの。



お父さんには この2年間 誰も面会がなかったと 看護師さんが おっしゃってた。



おじさんに携帯を解約されて 知り合いや友達とも連絡が 取れないようにしてたのね。



おじさんから言わすと 悪い連中って事なのでしょう。



だから お父さんが入院していた事 今となっては 死んだこと お父さんの知り合いは まだ 知らないです。 



もうこれが 最期かもしれないと思い あの時 一緒に住むことを断った事を 謝りました。



家族が来たことでなのか あの時の事を思い出したのか あの 強気で 見栄っ張りで おっきいお父さんの目から 涙がこぼれてました。



酸素マスクしてても 呼吸が苦しそうなのに 自らマスクをはずして 「 ありがとう 」 と 私に言ったの。



わたしが悪いのに 完全に拒絶したわたしが悪いのに お父さんがありがとうなんて言わないで!って 自責の念にかられたわ。



「 握手しよう 」 って 手を握りました。 手が 冷たかったのを覚えてる。



その事を 弟2人に伝えると 長男の方は 「 ふ~ん 」と。



二男の方は 次の日曜に面会に行くと言ってくれた。



わたしも また 行こうと思ってたのに その2日後 死んじゃった・・・。



通夜もありません。 お葬式もありません。



おじさんが この2年 金銭的な部分を全部をしてくれてたので 私たちは口出し出来ません。



兄ちゃん(息子)の会社も 弟の会社も お父さんの名前や 通夜の会場や 葬儀の会場を 聞いてきました。



電報を打つ件や お葬式の花輪を・・・との事だったけど 特殊なこの事情を言って お断りしました。



あまりにも 不憫で さびしくて お父さんが可哀想になってしまったので 火葬の日は わたし、旦那、兄ちゃん、ころんとひなた、広島の娘、弟(次男)7人が ついててあげようとゆう事になったの。本来 喪主である 長男の弟は 来ませんでした。いまだに 線香も あげてないし 手もあわせない。 



葬儀屋さんが言うには 12日に葬儀屋が遺体を火葬場に持っていき 火葬が終わったら そのまま お寺に持っていく予定だったそう。



なので 家族がお見送りすると告げたら 葬儀屋さんは 涙をぬぐって「 お父さん 喜んでらしてますよ 」と おっしゃってました。



次の日の 火葬の日 わたしが 火葬炉の点火スイッチを押しました。



骨を拾い 骨壺に入ったお父さんに 「 一緒に おうちに 帰ろうね 」って 言ってあげました。



お父さんね ころんの事だけは 知ってるんだけど 撫でてみたいって 言ってたんだ。 叶わなかった。



わたしは嫁に出た立場で おとうさんと 名字が違うけど お父さんのお骨は この マンションにあるの。



遅くなっちゃったけど 今 一緒に住んでるの。

__.jpg


お父さんには 遺影も 法名もないけど 数年前に携帯に送られてきた写メをプリントして お骨の隣に飾っています。



その次の日は 埼玉で おじいちゃんの 告別式でした。



おじいちゃんは 院長だったので 大勢の人が集まったようです。 



私たちは 内孫で本来なら行くべきなのだけど おじいちゃんには たくさんの人がついててくれてるので お父さんについててあげました。



お父さんは 自分のお墓に入れません。



おじさん(お父さんの兄)の奥さんが 「 あの人があの墓に入るなら わたしは 入らない 」と 怒ってるんだって。



だから お父さんは 納骨堂に入れるそうです。



13日の金曜日の日は ころんとひなたを 兄ちゃんにあずけて 萩の病院に 色々な手続きをしに行きました。



先生に 私たちの知らない2年間の入院生活の事を お聞きしました。



通帳とか 印鑑とかの遺品も受け取りました。



住所がなかった為 院長先生のはからいで 病院の住所が お父さんの住所になってました。



キャッシュカードの暗証番号は 大好きな せっちゃん(母)の誕生日になってました。



せっちゃん(母)の事を すごく愛してた事は 知ってました。



亡くなる2日前にも せっちゃんの名前を ふりしぼるように 言ってました。



せっちゃんは お父さんの事を 嫌ってたんだけど。だから 離婚してるんだけど。



そう言えば よく せっちゃんの写真を写メしてくれって 言ってたくらい(笑)



だから 今ね 骨壺の前に せっちゃんの写真を置いてあげてるの。



四十九日は お父さん、おじいちゃん 合同でします。



ほんとなら 一緒のお墓に入るはずなのにな~とか おばさん あなた 他人やん・・・とか 毒づいてますけど(汗)



わたしがあの時 また一緒に住んであげてれば きっと 道が変わって違う人生があったと わたしは 思う。



入院するにせよ 1人ぼっちで入院生活だの 最期を1人で迎えるだの なかったんじゃないかと ずっと 考えてしまいます。



「 山口県内に身内がいるなら 教えて下さい 」 と 埼玉のおじさんに 必死に御願いしていた婦長さん。



おじさんは わたし達兄弟や母に 迷惑がかかると思って 決して 婦長さんに言わなかった事や 亡くなる2日前に お父さんに会いに行った時 看護師さんが  「 もしものときの連絡先や住所を教えて下さい。 」 と言われたのに 「 おじさんに全て任せてあるので 言いません 」 と 言い返してしまった事 ものすごく後悔している。



だから 1人で逝かせてしまった。 お父さんが 危篤状態の時 わたしは リン○ーンを見ながら笑ってた・・・。 



全身 震えがくるほど 後悔している。 



あの お父さんが こんなに早く死んでしまうなんて ほんとに想像できなかったし あり得ないと思ってたから。



すごく強い人だったから また 復活するくらいに 思ってたから。過去 ほんとに 復活したんだもん。



そんなこんなプラス ころんの足もまた 頻繁に怪しい状況になってるので 落ち着かない。



もしかしたら 手術した方の左足の 今度は ひざが 関節炎かもしれないと 言われました。



萩へ行くには くねくねカーブが続く山道だらけの道で ころんには負担がかかるので 痛み止めを飲ませて 頑張ってもらったの。



1日目は 焼かれてないお父さんに間に合いたく ころひな連れて 萩まで片道 約70キロのルートで行ったの。往復で140キロ越え。



大雨と雷の警報発令中で いつもの道は よく 土砂災害があるから。



2日目は火葬。 晴れてたので 片道58キロのルートで行ったの。



それを 2日間続けてだったので 3日目の 病院や役所への手続きは ころひな達を兄ちゃんに預けたわ。



ひなたは 他に預ける事が出来ても ころんは 誰にも面倒はみれないから。



とにかく 撃沈のわたし。後悔してもすべて遅い。死んでしまったら 何も出来ない。文句の1つも言えない。



今までやってあげれなかった事を、自己満足なのかもしれないけど 今 お父さんに いっぱい してあげたいと 思います。



供養になればいいな。 お父さんに 伝わればいいな。 お父さんは今どこに いるのかな?



せっちゃんの所かな(笑) それとも おじいちゃんに説教でもされてるのかな?



今更ながらなんだけど もっと いっぱい 会いたかったな。


スポンサーサイト
【 2012/07/17 】 .。.:*☆ひとりごと | TB(-) | CM(19)
+++うちの子+++
*おさんぽかけっこ大好き。
*とてつもないヤキモチ妬き。
*さみしんぼであまえんぼ。
*4才に股関節切除。
*びびりんぼ。
*おそとがこわい。
*表紙のわんこもこわい。
*パピーがいちばん好き。
+++コメント+++
<>+-


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。